も、あらわれていた。
その座談会で一人の少女が、学校のつまらなさ、について、軽蔑をふくんで発言をしたことを、学校当局は、教育そのものを否定している生徒はおけない、と云って処分した。その処分をめぐるいきさつに、その少女の親であるひとの、すこし普通の暮しの人たちとちがう態度も作用しているようだが。そのように、一人の少女の発言をめぐっていきりたつおとなたちにかかわらず、その座談会について批評をよせている年わかいひとたちの判断は、平静であり、考えるべき点をとらえて考えている。学校がつまらないということ――旺盛な知識欲をみたすほんとの勉強が学校にはかけているということについて、こんにちの若いひとの苦痛は、共通である。それは無理もない。学校教育というものが与える最もよいことは、そのひとが一生自分で勉強をつづけてゆけるために必要な勉学というものの「方法」を身につけさせるという点になければならないのに、きょうでは先生たちさえも、まだそこに重点をおいていいのだという自信をもっていない。
だけれども、ただの学校否定に意味ないことを、わかいひとびとの批判は、とりあげている。アナトール・フランスが諷刺した
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