ように、空壜のように「行儀よく並んでつぎこまれる」のをおそわるのではなく、学びとる自立的な態度をもとめている。同時に、十代のひとたちの大部分は、ジャーナリズムの場面に出席して語っているひとたちよりも、もっと日本のきょうの一般的な現実に即して生活しているし、自主的な未来の生活設計に腐心しているという事実をあげて、率直に自然にかかれていた。
十代のひとびとの人生に、アルバイトがはいって来ている。それは不思議でないことになった。おとめは、夢のうちに生きず、現実に、人間の女性としての可能をためそうとしつつある。その態度にこそ、新鮮な十代のほこりと美とがある。おとな対十代のひとという古い関係で見ることはなくならなければならない。あなたも、そしてわたしたちも、ひろい人間としての関係の中に十代は自身を示していいのだと思う。
十代のひとが醜いと感じることは、おとなの世界でも多くの場合醜いことである。それが人間としての醜さとして社会生活の判断に適用するような社会、十代のひとたちが、よりよく生きようと熱望する、その熱望が、すべての人々の熱望に通じて行為されるような社会にしてゆくこと。自分自身を偽われず
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