たことは、人間のゆたかさにとってよろこばしいことだけれども、それについて、十代のひと自身ある程度辛辣な感情を経験していることを、おとなは知っているだろう。
 スタイル・ブックが、「ジュニア」の間に販路をひろめるために、若い夢をかきたてている。
 十代が、ジャーナリズムの新しい開拓地と見られているのではないかということを、わかい女性は案外批判しはじめている。
 いわゆる少女向の雑誌や、少女歌劇につながる趣味――少女趣味一般は、若いひとたち自身にわたしたちとはちがうと思われている要素を少なからずもっている。
 なぜなら、十代のひとびとがしんに求めているのは、人間として、女としてどう生きてゆくかということについての率直な検討であって、「十代の事件」ではないのだから。若い人たちの現実のゆたかさ[#「現実のゆたかさ」に傍点]、人間らしさであって、おとなが、若い人によって、描き出す夢やロマンティシズムばかりではない。このことは、先頃、ある婦人雑誌が催した、十代のひとたちの座談会に関連して学校当局とその少女、その親との間におこった事件について、同じ年ごろの若いひとたちが批判した、いくつかの短い文章に
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