たからどうだ、というふうなことを思う人は、もう今はいない。組合の男女は、古い観念でいえば純潔に一夜を明かしたのである。しかし、もっと突き進んだ理解での人間精神の純潔、階級的純潔とまで立入って考えれば、昔ふうに純潔な一夜を明かした組合の男女のうち、かりにA子とB男という二人の人があるとする。その人達は何にもいわないで、一人一人の胸の中に、その争議から逃げたい、もし糺弾されないならば、自分達だけはこっそり妥協してもいい、もういやだ、と思いながら「純潔」に一夜を明かしていたとする。それは果して働く人として純潔な一夜であろうか。私達の純潔観はこういう所にもある。
 むかし社会主義の思想と運動が治安維持法によって極端に弾圧されていた時代、日本共産党が非合法な政党としてひどい目にあわされていた時代、運動に入って困難な闘いを続けている若い男女の同志が世間態は人なみの家庭生活をしなければならないために、夫婦でない者が寄合って暮さなければならない、という場合があった。極端に困難な事情の中で、仕事の便宜上共同生活をした男女がやがて恋愛生活に入り、結婚生活も営んでゆくという例もあった。近頃になって小林多喜二
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