型ではない。善とか悪とかいうことは相互の関係で変化して、善かったことが悪くなる時期がある。悪かったものが違った形に発展して善くなる場合もありうる。純潔というものもいわゆる「無垢」なるものだけが純潔なのではなくて、すべての不正とすべての間違いと、すべての汚れの中から、人間が自分の社会認識の力と人間性の油でそれらの汚れを弾きとばしながら生きていく、そこに純潔性があると思う。
純潔ということが、異性の間の肉体的な関係に対してだけいわれるものでないことは、今日だれにでもわかっている。仲間としての友愛、友達としての友情、同志としての結合、そういう社会的な結び合いの中にある純潔さは、男と女の自然な特殊性を十分に主張しながらも、それを貫いてもう一つ互いの間に持たれている共通な目的によって結ばれている。具体的な例でいえば、ここにある一つの組合があって、争議に入っている。青年部と婦人部はもちろん協同で闘っているから、事件の成行きによっては、夜、家へも帰れない。一つの室に、ある人はテーブルの上で、ある人はイスの上で、夜明しをしなければならないこともある。その時一つの室に若い男と女とが夜中かたまり合ってい
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