て、インフレーションの、恐しいこの時期に、ラジオ放送して、幼な児の如くならずんば天国に入るを得ず、というようなことをいったのは純潔と反対のことであった。大臣という立場は、全人民経済生活の具体的解決を責任としている。その責任を忠実に感じ、履行し、責任を負いかねる時には、その任を去るというのが純潔な態度である。この場合に、幼な児の如くならずんば、という聖書の言葉を出して、今日われわれの苦しんでいるインフレーションに対してただ政府を信頼せよというふうないいまわしをすることは、真実たる純潔そのものを侮辱したことである。
ただ平和、衝突がないということ、そのことだけで純潔は意味されない。悪いことをしないということだけに純潔があるのではない。
純潔ということには、非常に積極的な、非常に建設的な意味がある。社会は矛盾に満ちていて、私達はいつでも悪くなる動機をもっているし、濁らされる動機を持っている。それに対してはっきり社会の歴史の進む方向とそれにつれて自分の闘いの道を知って自分を立てる道をつかむこと、そのことなしに私達は一日も純潔にいられない。
純潔というものは、或る特別の条件で固定した一つの
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング