の親でない親をもった青年が、いろいろな苦しみの中にもだえているし、「行人」のように自分を愛するのか愛さないのかわからない、ちっとも積極的な感情表現をしない妻をもったインテリゲンチアの男の苦痛、そういうものを沢山扱っております。ところが、ソヴェトへ参りまして、いろいろ見ているうちに大変驚いたのは、家族というものが日本で考えられているような、とじこめられた屋根の下にうごめいている家族で全然ないということです。もっともっとひろく社会の中に押出されている、一人一人が社会に役だつ勤労者であるということから、社会そのものによって保証された条件をもって集っている集団としての家族です。そのことで非常に驚いたのです。私がロシア語を習っていた或る奥さんが、私のうちへいらっしゃいというので参りましたら、大きな息子さんがある、その大きな息子さんと旦那さんとがお茶を飲んで話をしていると、息子さんはお父さんをお父さんとは呼ばない、そのお父さんを、たとえばミハイロ・ミハイロヴィッチという父称で呼んで、そして話しているのです。不思議に思っていたら、お父さんはそれに気がついて、不思議に思っておられるらしいが、これは私の
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