息子ではない、私の妻の息子です、そういうのです。面白いでしょう、実にはっきりしています。私たちは二度目の結婚ですから、私の結婚するときにはもうこの子供は生れていたのだというのです。前の人は革命前の軍人であって、何か将官だった人だそうです。つまりその人と離婚したとき、女の子供と男の子供がいたので、子供たちをどっちで育てるか協議したわけですが、男の子は僕はお母さんと暮したいといい、女の子は私はお父さんと暮したいといったので、別れた夫の方へ娘が行って、お母さんの方へ息子がついて来たのだと説明してくれました。そういうことは、今まで日本の社会にもございますし、これからもあるでしょうけれども、その場合日本では形式にはめて、お父さんと呼ばせ、お母さんと呼ばせるのです。一緒に別れて行った女の子にとっても、お父さんが二度目の結婚をしていれば二度目のお母さんがあるはずです、けれども、その娘は男の子と同じようにお母さんとは呼ばないで、アンナ・ミハイロヴナならアンナ・ミハイロヴナと呼んでいるのでしょう。つまり、その人たちは親子の関係についてずっと楽で、自然に考えているのです。母親というよびかた、実の親子らしさ
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