のと大してちがいません。そうじゃなく、社会制度が本当に変ったときには、生活のやり方が変って、私ども人間も心の組み立て、その表現、あり方が変って来るからこそ、よい社会の制度の上では私どもの幸福がまして来るのです。ただ口先で、いろいろなことをいって、社会主義だとか、民主主義だとか、しまいにはキリストまで引張り出して恵みを乞う、そういうおかしな、すり変えられた民主主義は真平御免だと思うのです。私どもはロシアの勤労階級の人々と同じ二十世紀の世界歴史の中に生きて来たのです、けれども、われわれの今まで生きて来た生き方は勿論のこと、民主主義の時代だという今でも、なかなか本当の民主主義になっておりません。憲法が変ったって、いきなり、すべての人が教育をうけることは出来ないのです。例えば女の人口のうち、あれだけ多くを占める繊維工業の若い十四五から二十歳までの勤労女性の生活はどうでしょう。倉敷には有名な大原コレクションがありますが、この倉敷で文化講演会があっても、総同盟あたりが締めつけにしている工場では、工場というところは働くためのところです、とポスター一つはせらず、講演会へ娘たちを出してよこしません。すべ
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