洗う波とどうなったのか、至極混雑して、やがては従兄の援軍で、どうにか三分の二までやり、遂そのまま降参したことがあります。
 父も父だと云ってしまえばそれきりのようですけれども、私にとっては楽しい記憶の一つとしてのこっております。
 パリにいた或る日、父は私をつれてどこであったか裏町の骨董店歩きをして、私にいろんな家具のスタイルだとかを話してくれたことがありました。ある店で、柿右衛門を模倣した小さい白粉壺が見つかり、父が、しきりに外国で日本の作品が模倣されている面白さを云うので、では二人で歩いた記念にこれを買いましょうと、私がおそらく生涯に一度の骨董的買いものをしたこともあります。
 父が最後の二三年、楽天氏のアトリエで漫画を折々描いていたということを、ふと楽天氏が洩らされたことがありました。シャツだけになって、大した元気で一時間ばかり描いて行かれますよ、というお話でしたが、父はそのことについては何も云わず、作品というものも従って私共は見ておりません。どうせお手習いでしたろうが、私は、ああいう気質の父がどんな漫画をかいたのであろうか、と大変興味があります。紙屑でも、北沢さんがもしまだお捨
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