か持たないと信じます。
 私たちが弓子さんの現実から汲みとり得る唯一の教訓は、弓子さんのように生きるなと云うことであって、破局の形式に衝撃されて、全く浪費されてしまった若い一婦人の生命に対して私たちの感じる健康な憤りを、純情などという砂糖をかけた言葉で包むことは、愚かなことです。

 私は、自身一人の妻として、複雑な現実の間に良人に対する一筋の情熱をもって生きている女としてこれらのことを書きながら、心に或るつよい疑問をよびさまされました。
 現代の社会では殆ど国際的に何故このように所謂《いわゆる》純情が探索され、憧憬され、しかもその純情なるものが社会発展の歴史から見た場合、消極的な意味を多くもつ形態で発露されたときにだけ、様々の感歎の的になるのであろうか。疑問というのはそのことなのです。
 例えば、世評の高かった映画「夢見る唇」の魅力はどこにあったでしょう。「にんじん」は、挫かれひしがれた純情で観客の心を打ったのではなかったろうか? 何故、若者の心はそのようなものに惹きつけられるのでしょう。
 今日、社会の機構が我々の純情をすらりと活かしきれないものとなって来ていることは、生活の根本的
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