はいられない。「文明が脅威をうけるのは科学者の仕事を通してであったが故に」と。――しかし、同時に、これらの文字は、その純真さにかかわらず、科学と社会との現実関係を、何と素朴に或いは遠慮がちに言いあらわした表現だろう。
 科学者の多くの人々が、彼らの偉大な研究のためにいそがしくて、「アメリカの悲劇」「アロースミスの生涯」「怒りの葡萄」「ラニー・バッドの巡礼」「アメリカを支配する六十家」その他をよむひまがないとしたら、残念なことである。
 世界の多くの文学者は、科学について素人であり、たまに小説の中へ科学をとり入れたとき、科学そのものの描写では屡々専門家に指摘される失敗もしている。(「スクタレフスキー教授」「凱旋門」「チボー家の人々」など)けれども「アロースミスの生涯」のテーマの角度から――科学的良心と現代社会の関係を扱ったとき、文学者は、その関係の生ける姿において把握することに成功している。原子学説についてどこまで知っている文学者が、現代にいるだろう。わたしたちは、ほとんど無知である。だけれども、現代のリアリティーとして、ナイロン王デュポンが、水爆王になりつつある過程は明瞭に理解する。マダム・キューリーが一九〇四年のある朝、アメリカのある会社からラジウムの独占とその独占経営を申しこんで来た手紙に謝絶の返事をしたためた、その心情をわが胸に感じとることはできる。文学者にとって科学の成果は学問としての理解の点では、おそろしく素朴ではあろうが、常にヒューマニスティックな関係において、うけとられているのである。偉大な科学者たちが、科学力について、時代おくれの常識家が云うとおり「文明を脅威するもの」とみずから考えているとしたら、わたしたちは深いおどろきを抑えかねる。
 原子科学は最も新しい人類の獲得物であるから、おそらく科学者自身もおそらくその「科学的発見の驚異」の途上にいるのであろう。新しい発見者、魔力のよびさまして、としての責任感に目ざまされてもいるであろう。それらは皆自然である。そしてその人々の人間らしい親愛を感じさせる。だけれども、科学者の仕事を通じて、たとえば原子力を文明が脅威をうけるものとしたのは、「資本」である。「科学上の発見の驚異」は巨人的な資本の脚によって運ばれ、忽ち「科学生産力の驚異」を示威する段階に立ち至った。科学は非人間的である。資本が利潤を追求する本質も非人間的であり、どちらもモラルをもっていない。このヒューマニティーをもたない二つの巨大な力と力との結合こそ、そして、後者の前者の支配こそこんにち人類社会に破滅的な暴力・脅迫としてあらわれている。
 したがって、世界平和と原子兵器禁止の課題は、インヒューマンな資本力が科学力を支配することに対して、現代のヒューマニティーが勝利しなければならないという課題である。ヒューマニティーがより拡大して、特に人間の理性が、現実の諸現象に対してより人間生活にとって合理的な判断に立って実践し得るように、高められなければならないという課題である。文学はこれらすべてのヒューマニティーの問題にかかわっている。人間社会の多数者が自らの現実を処理してゆくヒューマニスティックな能力の問題として、文学者も政治にふれて行くように。
 平和と原子兵器禁止については、アフリカの字を知らない原住民まで、指紋を署名がわりに支持している。カンタベリー僧正ヒューレッド・ジョンソン氏から、アフリカの原住民までを貫く、この平和と原爆禁止の要求こそ、現代のヒューマニティーの叫びである。文学がヒューマニティーの最も身近な表現であるということは、文学者こそ科学者とともに平和と原爆禁止のための発言者であるべきことを当然とする。「原子爆弾をフットボールのようにもてあそばせてはならない」この真理は、エレンブルグがいうばかりでなく、エディンバラで開かれようとしている、国際ペンクラブの年次大会でも、そこに集るそれぞれの国の文学者たちによってつよく声明されるであろう。日本から行った阿部知二、北村喜八の両氏はこんどこそ、かつて島崎藤村がヴェノスアイレスのペンクラブ大会へ行ったときのようには振舞わないだろう。藤村は世界の文学者がこぞって反ファシズムの文化闘争を決議したその大会で、終始、日本の文学者として反ファシズムへの態度を明瞭にしなかった。日本の文学者として、日本と世界のヒューマニティーに対する自己の責任を回避した。阿部・北村両氏は、日本の文学者とその読者である知識人、労働者すべてからの信任状を負うて出発したはずである。
 六月二十五日、朝鮮に動乱がひきおこされてから、日本のジャーナリズム、新聞、ラジオなどの上で平和と原爆禁止についての発言は、何となし「こうなっては、仕方がない」という風に扱われはじめた。「平和」はいつもいつもある特定の
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