主義者だから、母が主人という立場から、かくかくにするべきもの、という論点は分らず、女中がしたことがわるかったか、よかったかということを、めのこで主張し弁護するのであった。「お前はだまっているもんです、子供のくせに!」そう言われるようになった。
 建築技師であった父は明治初年の寛闊な空気のなかに青年時代をすごして、死ぬまで一種の自由主義者であった。母も、女だから、という社会の習慣的なひけめには、観念的であり矛盾ももちながら抵抗しつづけたひとであった。そのために、わたしが十三となり十四五となるにつれ、家庭の重みよりもむしろ通っていた官立の女学校の教師からうける言うに言えない圧迫を実に苦しんだ。女学校の教師は、自分の家にないお嬢さんの型、女だからという型、女のくせに、という型、それらのすべてで、性格の角々を削って、標準の中流若夫人をこしらえるのが眼目であったから。女学校の三年ごろを思い出すと、わたしの二十四時間には、それからあとに出来た不良少女というものになってゆくモメントが一つ二つではすまないほどどっさりあった。学校の空気と学課が、自分をしっかりと掴えない。苦しく無意味に思える。そこで、上
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