おくぐらいの経済事情のところでは地方の――福島や茨城、千葉などから働きに出て来た娘たちと、その家の子供の生活とが絡み合ってゆくのであった。
 その娘たちは粗野であり、子供たちに対して自然だった。というのは、腹が立てば箒をふりまわして追っかけたし、きげんがよくて、自分もおなかがすいているときは、おはちから御飯を出して握りめしをこしらえてくれ、水がめからひしゃくで水をのむことを教えた。手ばなをかんでみせた。そして、動物の生殖について、野卑な説明を与え、むきだしに自分たちの興味を示した。書生がいるとき、子供によくわからないけれども何かを意味するいろいろの話が、子供のいるときでもされた。留守番をするながい時間、子供はそういう荒っぽい空気のなかにいる。よごされもせず、わいせつな話の意味を知らず、すがすがしく笑いながら、裏へ出て繩とびなどもしながら。
 なかのいい女中が、母から叱られるということは、一つの事件であった。必ず、わきに立ち傍聴し、前かけをひねくって、時には涙をおとしている女中に同情した。十一二歳になった少女には、稚い正義感が芽生えてそういうとき段々女中の弁護者となって行った。子供は実証
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