ところに一組の夫婦がいた。
 何かのことで一寸いさかいをしていると思ったら、良人の方がいきなり手にもっていた紙の丸めた棒のようなものをあげて、妻をポカポカと殴った。あたりにはどっさりひとがいる。衆人環視のなかで、その男は自分の女房をなぐったのであった。
 そのひとはそういう今日の人の気風に竦然《しょうぜん》としたと語った。
 小田急の電車の中で、パーマネントの若い女の髪をつかんで罵りながら引っぱっている男を、ぐるりから止めることもできないような雰囲気で、実にこわかったということをもきいた。
 日本がずっとまだ未開だったころは、男は自分の女房をなぐって何がわるいと思っていただろうし、癪にさわるものなら男でも女でも暴力に訴えてもかまわないと思っていただろう。一種の乱世であった明治初年の殺伐な気風の時代にはそういうことがらも多かったろうと思う。
 今日、昭和の御世、日本が東亜の指導者となりつつあるといわれているとき、国の中で首府の真中で、そういう気風が現われているということについて、私たちは何を考えさせられるだろうか。そして、要路の指導者たちはそれに対してどんな方策を考慮していられるのだろう
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