いる若い女のひとと、働らかないで暮していられる女のひととを並べて、毎日の生活感情に空虚感なんかない筈の理由を説得しようとしても、現実にそれは承引され難い。だが、近頃、若い男女が、反動に対する消極的な反撥のポーズの一つとして、今日私たちが生きている社会の悪時代を強調し、その悪気流の中で馬鹿ででもなければ、空虚感を持たずにいられる筈がない、と思っているのには、疑問がある。
顔の前に短く垂れた面紗《ヴェール》のように、空虚・無目的性をこの人生の前面に装飾的にかけて、その気分を持って廻るのであったら、そこには矢張り新しいようで実は大変に旧套であるところの若い女の人生への気力の弱い媚態があるのだと思う。人間は勁《つよ》い、複雑な、旺盛な存在である。真の生活の空虚には堪えない生命力を生れながらにもっている。生活感情の空虚を訴え、それを話題として語る以上は、既にもうそこに空虚はないのだと云い得る。同時に、この人生において空虚、無目的感というものと人間性の自然とはそれ程和解しがたい本質であるから、人は敏感にそれを嗅ぎ出し、問題にし、愚かな男女の間では何か近代的な媚《こび》の一つの眼使いとさえ間違えら
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