も、やはりこういう雲が通りすぎる事があるだろう。
 心持の表面を掠めるのではなく、生活感情の断層のようなところから、そういう落着かなさ、内容の不明な不安がきまった箇所にいつも閃いて見えるようになった時、その人たちは、自分の生活がなんだか全部あるべきようには無いのだという自覚を持ちはじめる。
 こんな感情を、昔の教訓は面白い言葉で誡《いま》しめた。曰く「小人閑居して不善をなす」明治・大正の女流教育家たちは、その解釈を、日本資本主義の興隆期らしい楽天性と卑俗性とで与えた。人間は目的を持って努力の生活をすれば、自ら身体は強健になり、蓄財も出来、老後は天命を楽しめるのである。「怒るな。働け」と。
 今日の生活は、こういう単純な警告に対して、論争はせずに唯笑って過す程、女の社会性は複雑になって来ている。はっきりそれを言葉として云うか云わぬかは別として、人生の目的という観念そのものに詮索の目を向けている。怒らず働いて、生活の不安がなくなるものならば、どうして少年少女の時代から怒らず工場でよく働きつづけた今日の青年達が、弱体であり、知能が低いと保健省を驚駭《きょうがい》させるのであろうか。
 働いて
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