のときのかの子さんの印象は、自身の白い滑らかさ、ふっくらした凹凸、色彩のとりどりを自身で味いたのしみながら辿っているとでも云う心理に映った。主婦として女中さんの待遇について話すようなときも、同じその感覚が、自身の主婦ぶりに向けられているらしくあった。
やがて、かの子さんの小説が出るようになった。精力的に、溢れるという形を示した作品が現れるようになった。作品の世界は、幻想的と云われ、或は逞しき奔放さと云われ、華麗と云うような文字でも形容され、デカダンスとも云われ、あらゆる作品の当然の運命として、賞讚と同時の疑問にもさらされた。文学の作品として、かの子さんの幻想ならぬ幻想が、その世界として客観的になり立ち得ていたかどうかということについては、ここで触れない。かの子さんの小説がどっさり現れるようになってから、かの子さんの顔を見ると、いつも私の心に起って来る妙な居心地わるさというか苦しいというか名状しがたい心持について、暫く考えて見たく思うのである。
一口に云えば、印刷になった彼女の小説を読むときは、それとして読むのであるが、特徴あるおかっぱのかの子さんの顔を見た刹那、どうしてもその作品が
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