った。勇ましくあらねばならず、恐怖を知らないものであろうとした。そのために、こわい、いやだ、それはまちがっている、という声々を治安維持法に向って発せず、かえって、緊張した顔をわきに向け集めて、社会主義リアリズム論争、文学指導の政治的偏向という主題に熱中した。文学理論は、そのものとしてとりあげられず、すでに下ゆく水の流れの上におかれて論ぜられるのであったから、論議は理論的に進まず、論点の転換点《ターニング・ポイント》はいつも心理的な動因に立っていた。しかも、誰一人(文学者であったのに!)その機微につき入る親切も、辛辣ささえももたなかった。そのようにおさなかった。稚く、こわばって、まじめであった。
 この事実は、日本における社会主義的リアリズムの理解を今日にいたるまでまったく歪めた。この理論から文学における階級性の消滅だけが強調された。プロレタリア文学が自分の歴史性を喪って、治安維持法と検閲の枠内だけに棲息する文学になり下るモメントとなった。三二年に国際的決定を見た日本の半封建社会は、その社会に即する半封建の思惟力と文学のよわい脚との上に、プロレタリア文学運動もろとも社会主義的リアリズムと
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