いう、未来にわたって展望の長い、興味ふかい国際的な文学課題までも、崩れへたばらせてしまうことになったのであった。
ファシズムにたいしてたたかう民主精神、ヒューマニズムの主張としてフランスを中心におこった人民戦線の運動が、この度の大戦中、どんなに社会的・文学的に高貴な地下活動を行ったかは、今日私たちが少しずつ学びはじめている。同じその時期、日本での人民戦線の提起が、どんなにその枢軸たる社会性・政治性を抜き去ったものとして行われたか。階級性ぬきのものとしようとしてついに能動精神というモットーにおち、もう一段の悪情勢で、日本の文学がほとんどまったく侵略戦争のローラーにひしがれたということを、悲傷をもって経験している。プロレタリア文学の運動がはじまったころ、文学の純粋性を固守し「花園を荒すものは誰ぞ」と書いた中村武羅夫や、文学の芸術性は独自のものだと社会性ときりはなして主張した菊池寛が、戦争の間は先に立って、その花園に戦車を案内し、その芸術性を、戦争宣伝性におきかえた。これらのことは、深い教訓を示している。
こういうあらましのいきさつを経て、今日のわたしたちは、民主の日本を建設するという課
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