ンスでいわれた。
日本にプロレタリア文学運動が起り、それがしだいにまとまり整理されて世界的な動きの水準に接近したのは、一九二八年ころのことであった。プロレタリア文学は、その発生の本質において、そもそも既成のブルジョア文学のなかでの一流派ではなかった。その時分出現した新感覚派と称する流派と並んでブルジョア文学の伝統とその流転のはてに咲きいでた新種のはやりではなかった。文学のうまれる母胎としての社会の階層・階級を、勤労するより多数の人々の群のうちに見いだし、社会の発展の現実の推進力をそれらの勤労階級が掌握しているとおり、未来の文化発展も、そこに大きい決定的な可能として潜在していることを理解したのであった。世界のプロレタリア文学運動は、世界のブルジョア文化とその文学の創造能力の矛盾と限界を見いだして、人類史の発展的モメントとして現世紀に登場している勤労階級の生新な創造性を自覚したところに生れたのであった。
二八年ころ、日本の進歩的社会科学者は、まだその研究の集積において豊富であるとはいえなかった。日本では社会科学そのものが、プロレタリア文学の前駆的な運動とともにうちたてられたばかりの時で
前へ
次へ
全27ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング