りをとりまく資本主義国間の矛盾に面して社会主義人民政権として独自の立場から対処する能力が備《そなわ》った。芸術の創作方法が、第一次五ヵ年計画を境として、初期の、唯物弁証法的創作方法から、社会主義的リアリズムに進展した根拠はここにあったのであった。この時期に、唯物弁証法という哲学上の概念と、文学の方法とが機械的に結び合わされていることの不十分さも明らかにされた。
日本が、社会主義的リアリズムの理論をうけとったとき、ソヴェト同盟のそれらの歴史的条件は、もとより明瞭に語られていた。けれども、はじめに触れたような壊乱的状況とこんぐらかって、この理論がこねまわされたために、客観的に研究されるよりも、当時の心理に便宜な方向への解釈で支離滅裂にちぎられた。社会主義的リアリズムにいたる以前の個々の社会事情の現実の究明、日本ならばそこにますます残酷な暴力を示しつつ階級対立があるということを、すりぬけて通る役に立てられた。社会主義そのものが、まだ階級的存在であるというそのことさえ認めなかった。そして、社会主義的リアリズムは、世界観などをとやかくいわないで、作家が作家としてリアルにこの社会現実さえ描けば、
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