ールと育ってきた世代の若い作家シーモノフは、日本の文学者たちがなぜそのように、創作方法ということについてやや執拗にきくのか、一九三二年ころの日本の事情はもとより知っていない。同時に、まだ社会主義に到達していない人民が、自分たちの重圧である半封建的なものと闘わなければならないとき、資本主義勢力が民主的進展の推進力であるよりも急速にその歪曲作用を与えているとき、社会主義的リアリズムの課題は、もう一度歴史の手前のところから解説されなければならない、という国際的文学にたいする教師の任務をも知らない無邪気さで育っていることをおどろいて眺めたのであった。階級の対立がのこされている国では、社会主義的リアリズムという創作方法の問題は、ひとくちそれといっただけでは正当に摂取されない。ソヴェトが一九一七年から十二年の星霜を経て、その深刻な根本的改変と建設との成果に立って、社会主義生産の段階に到達し、生産の全面と文化の全部門から利潤追求の企業性を排除しえたとき、国内的に勤労階級と有識人階級との対立、貧農と富農との対立が消えたと認められたことは理解できる。国内的にはプロレタリアートの指導権が統一確立され、ぐる
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