とき、それは呪わしいばかりに複雑である。わが心に銘じる悲しみが深きにつれて、文学はその悲しみを追求することによって、単なる悲しみから立ち上った人間精神の美を発見し、美を感じ生みだすことによって、個体の経験を社会の富に転化して、そこから成長しきるのである。が、一つの悲しみ、一つのよろこび、あるいは憧憬を、独自であって普遍な精神的収穫としてゆくために、わたしたちの眼は、錯雑する現実にくい入って、交錯した諸関係、その影響しあう利害、心理の明暗を抉出したいと欲する。芸術は、ますます生きつつあることを感じて生きんとするおさえがたい欲望であると思う。その欲望につき動かされて、わが心、ひとの心、それらの心を生む社会の密林にわけ入るのだが、今日の私たちは、少くとも、自分の諸経験を、社会現象の一つとして感じうるだけの能力は備えている。どうしてこうも辛苦であろう、とつきつめた思いは私たちに、どうかしてそのわけを知りたく思わせる。
そのわけはじつにどっさりある。いくつかのわけはすぐ見えるところにあるが、そういう事情の湧いてくるまたそのわけは、私たちの目前に直接姿をあらわしていない。だが、小さい一つの現象の
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