文学の肉体感でいえば、自分のなかにあるのだから。そして、私たち一人一人が個人として、どんな形かで、今日の社会の動きかた、またその動かしかたにかかわっているのであるから。「文学は政治に従属する」といわれる場合、私たちの感情に、なにか文学に身をよせてそれをかばう作用がおこりやすい。これまでも、この定義にたいしては少からぬ誤解と反撥がもたれた。そして今日、やはり常識の中にしっくりとうけいれられずにいる。
文学との関係で政治がいわれる場合、その政治は、けっして文学の利用者また悪用者としての政治を意味しない。この社会に対立して存在している階級と階級との間の諸経緯ならびにそのたたかいをさしている。一人の人といえども、この社会では階級に属さない生きものでありえない。人間が階級社会に生活するからには、その文学も当然階級性をもたないわけにはゆかない。「文学は政治に従属する」ということをわたしたちの言葉で表現すれば、文学の階級性という平明な、わかりやすい事実になるのである。
社会が単純な時代、私たちの実証性の対象は、感覚で確かめられる世界の実在であった。今日、わたしたちが日々の悲喜の源泉を辿ろうとする
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