、読者としての自分たちがこの社会の現実関係のなかで、どんな関係におかれているかも釈然として、そこから感じて来るものは浅くあるまいと信じられる。
「長篇の形式と内容の問題」で、この著者も昨今流行の長篇が、所謂力作主義ではあるけれども、文学作品としてはいずれも訴えて来るものが少く「一番つよく考えさせられることは、思想の弱さ、曖昧さである」としている。ところで、文学の思想性というような言葉は随分見かけるが、文学の内のものとしての思想とはどういうあらわれをもつのが本来なのだろうか。「それは、どんな思想でもよいから強く明確なものを欲するという意味から云うのではない。どんな思想でも芸術を美しく輝かせることが出来るとは云えないからだ。又私は、(中略)一つの名を持った特定の思想体系について云おうとしているのでもない。芸術作品について思想と云う時、それは一般的に作者が私たちの生活の中で何に注目し、それをどう理解しているかを指している。そう云っただけではまだ不充分だ。作品の与える感動の質や強弱や方向や深浅や大小を、具体的に規定している、作品のその関心や理解こそ思想であろう。感動の性質をよそにして作品から思
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