性の問題にしろ、結論の流れいずる源をさぐれば、そこには現実に生きた人間の芸術における関係があらわれる。「文学の虚構の真実」にしろ、「芸術至上主義の現代的悲劇」にしろ、「現代の創作方法論」にしろ、いずれもそれが云える。
 文学において、創作の方法というものは、何とまざまざとその作家の社会的で芸術的な生きかた全幅を示すものであろうかということも、興味ふかく考えさせられる。例えば今日云われている農民文学というものの在りようについて、又、読者としてあらわれている大衆と作家との互のかかわり合いかたの真実の姿について、著者は、創作の方法という、全く文学独特の因子からつきつめて行っている。
 作家としての心が、このような語りかけに対して迚《とて》も知らんふりはしていられないように触れられるというのも、この著者がどこまでも文学の独自なものから云っているためであると思われる。
 何かを求めながら、しかもこれぞという自分の選択も定まらないままに今日いろんな小説を片はじから読んでいる読者層は、この一冊の本からどんなに多くのものを与えられるだろう。文学作品を文学の作品として理解してゆくたすけとなるばかりでなく
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