りでは、それは作家の意図[#「意図」に傍点]であり得ても、個々の作品の創作におけるモチーフの説明とはなっていないとしているのは、極めて自然に肯《うけ》がわれる。モチーフを、「作家の内的要求が、テーマの直観的な端緒を」とらえるものとして理解することは、私たちの心の具体的なありように即している。「モチーフとは、作品にとっては作者なる母体につながる臍の緒である」本当にそうではないだろうか。
 例えば青野氏が真情をこめて「小説というものは、作家の誠実な生命と結びついたもので、その意味では容易に生み出されるものでなく」と云われる場合、モチーフの健全で真正直な理解なしに、作家はどこから自分の作品への血脈を見出して来ることが出来よう。モチーフは、テーマの直観的な端緒と云うとき、その現実の内容は豊富きわまりなく、或る一つの作品を一貫する文学的感動のニュアンスをきめるものもモチーフである。作者と作品と作品のつくられて来る現実という三つの関係へ、方向をつける必然の力として作者の胸底に湧き立って来るものも外ならぬモチーフであって、その生きた脈うつ道を辿って、作家は作品のなかに深々と腰をおろし、互の命を生き得
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