るのである。
 臍の緒なしにつくられる「手芸的作品」氾濫の問題は、案外に大きく、真実の意味での創作の方法を見失った作家が、モチーフをさえその心胸から消して、敢て苦しまないという不幸から生じているのである。
 作家がモチーフをつよく自身の芸術的魂のうちに求めるという態度こそ、現実と自分というものの間に可能な限り自分からのヴィヴィッドで鋭い関係をとらえようとすることになる。モチーフを整理の必要として感じているとき、作家は、「在るものへの追随によって世界像を求める傾向へ」と発展せざるを得ず、今日の生活のなかで、それが文学にどのような結果をもたらすかということは、察するに余りある。所謂純文学が或る面では、案外に文学的内容を低めている動機もこのような点と切りはなしては見られまいと思われる。
 私はこの『現代文学論』から、自分としてわかっていた筈だったのに、こんな風にはっきりとは分っていなかったと自覚する多くのものを与えられた。それが非常にうれしく思える。
 そして、こんなことも思う。この著者が『文芸』の文章のなかで「兎に角小説をかきつづけていたらもっと人間がよくなっているのではないかと思うことが
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