い。一方的に作者の主観的な意欲や創作熱に基いて表現的努力にばかり傾いて行くと、そこには作品の制作という作品そのものの[#「作品そのものの」に傍点]支配はあっても、作者と作品との関係に対する作者の支配[#「作者と作品との関係に対する作者の支配」に傍点]はなくなって行くばかりである。文学作品として書かれるべきものがみずからの表現を得るというのではなくて、作者自身の風俗が展開されるばかりで、「文学は自分自身に対していよいよ第三者的たらざるを得ない。」作者と作品との正常な関係は、作者の熱意と意企が、書こうとする対象に文学として明瞭な表現形式を与えようとする創作過程を、同時に、ある表現形式を与えようとする「作者の方法への自覚、反省、批判の契機において、対象がどのような現実[#「現実」に傍点]として把握されているかということをも追求する過程たらしめるところに」成立すると云われているのである。
多くの作家たちが、或はこれらの言葉を、わかり切ったものだとするのかもしれない。けれども、この文学をして文学たらしめる一筋の道が果してめいめいの創作過程のなかで今日十分身につけつくされているであろうか。青野季
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