吉氏が二月の『中央公論』に「作家の凝視」ということを書いていられる。現実を凝視する粘りづよさを作家に求めているのである。作家が自身の作品に深々と腰をおろしている姿には殆ど接し得ないという、「作品と作家の間の不幸な関係は、そのままで放置すれば、作品と作家がすっかり離縁して、てんでに何処へ漂流するかも知れないのだ。小説の前途について、いろいろ不安の説を聞くが、私にとっては、その離縁がもっとも恐ろしいことに思われる。
小説というものは、作家の誠実な生命と結びついたもので、その意味では容易に産み出されるものでなく、誰も云うように『六つかしい』ものであるが、それは創造としての小説の話であって、小説には、他の芸術でも同様であるが、作者を離れても、手芸的に制作されうる調法な抜け道がある。その抜け道を誰も彼も心得るようになっては、小説の運命はそれまでだ。
この時勢を生きるための作家の心構えなど、いまの私には聰明ぶって説き立てる勇気はないが、私にはこう云う時勢の中で、作家にとって最も大切なものは、執拗な凝視であると強調したい一念を抑え難い。」
日本文学のなかでたとえそれがどんな形で経験されたにしろ
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