て持っている文章である。
そういう種類の文章のもう一つの特徴は、文章が粗大の傾きをもっていることである。大いに堂々と云われている結論なり断定なりが、十分精密強固な客観的事実の綜合の結果として、そう云われざるを得ないものであったことを文章のなかで自然と納得させて行く、という魅力、説得力を欠いている。文筆上の軍需景気とユーモアをもってゴシップに現れている武藤貞一という人が思い出されるのは、単なる偶然ではなかろう。
日本の文脈ということについて極端にさかのぼってだけ考える人々の間には、漢語で今日通用されている種々の名詞や動詞を、やまとことばというものに翻訳し、所謂原体にかえした云いかたで使わせようという動きもある。果して、現実の可能の多い方法であろうか。日本というものの独自性の或る面、外来語でも何でもいつしか自国語にしてしまって、便利なように訛りさえして、日常の便利につかうところに、寧ろ示されてさえいると思えるが如何だろう。
文章のわかりやすさ、無制限に数の多い漢字を整理し、複雑な仮名づかいを単純にして、子供たちの負担を軽くし、日本語の世界化によい条件をつくろうとしている国語国字改良の
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