人は外国かぶれが多すぎたという概括的な判断が一部にあって、ああ云うまわりくどいような文章は日本の文章の系統ではないという反撥があって、そこで、日本らしい、はっきりした、小学校さえ出ていれば誰にでもわかる文章というようなことが云われていると思われる。そして、文章が内容なしで一行だって書かれるものでないから、文章の上でそういう時局風な主張をもっている場合、その文章のなかみもおのずから形式と一致したものをもっているのが、実際である。この傾向は、文章道の上での、よしあしの問題から、その当初に於てはるかに歩み出した現実の一面の必要を示しているものであった。其故わかり易い文章によって、そういう事物の表現を必要とする読書層の実質を、文化的に高めて行こうとするよりも、先ずその層の程度に適応して行って、そこで一定の或るまとまりに入れられたものの云い方考えかたを導こうとする態度が示された。その態度は、そういう文章を書く人々の感情に或る気負ったものをもたせて、そういう人々の文章には、独特の調子の張りがあり、一言で云えば勇ましいような断言的な口調をもっている。心に恃むところがある、ということをジェスチュアとし
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング