運動もある。これは、ジェスチュアの多い、勇ましい、そしてわかりやすい文章の続出という時代的な潮流に或る刺戟をうけつつ、その傾向とは異って、学問的に解決して行こうとする努力を示しているのである。
 作家では山本有三氏、歴史家では羽仁五郎氏などが、文化に対する良心から、自身の著作に漢字の制限と仮名使いの単純化を実行して居られる。作家、評論家などの間に比較的この技術上の関心がひろがって行かないのは、それらの人々が自分たちの職業的な習慣のなかで独善的であるというよりは、仮名づかいという純技術上の問題以前の問題により深い関心を求められているからだろうと思う。つまり、今日わかりやすい文章の必要は誰にもわかることとして、内容としてどういうわかりやすさが、真に日本の文化の成長のために必要であるかということを、考えていないものは無いと思う。文章は人間によって書かれるものだから嘘も書こうと思えば書ける。それだからこそ、文章を書く人々の真実性、人間としての善意が、常に新たな光の下で見直されなければならないのである。
[#地から1字上げ]〔一九三九年九月〕



底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング