ューマニズムの展開が期されたのであったが、その抽象的な存在の不可能なことは、元大学教授矢内原氏の知性が蒙った最近の経験に徴して明らかである。ヒューマニズムは我の社会的拡大を眼目としているのであるが、今日の現実は、我の強壮な拡大の代りに没我を便宜とする事情でさえある。日本文学の歴史は、社会全史の一部として新たな一時期に当面しているのである。

 明日の日本文学は、果してどこからどのような色と形とで咲き出すものであろうか。これは愉しい予想であると同時に、その予想を人間文化にとって愉しいものたらしめるためには、少なからぬ年月に亙る芸術家たちの文学的堅忍と自己鍛練と生活への意欲とが翹望されなければならぬ問題である。明年度の文学が一躍、輝しき知慧の光と人間の愛に充満しようとは夢想だにされまい。文学はこれからうちつづく何年かの間、本質的には苦難を経、守勢をとり、萎靡した形をとるであろう。文学におけるヒューマニズムの問題、能動精神の提唱をした一部の作家が、今日ヒューメンなる何を主張し得ているかということについて、その無力化された有様だけを云々することは、綿々として人間生活と共につきぬ文学の問題の消長
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