為とその評価とに対して自主的な意志と目的の発動において人間が行為するだけ勇敢であるべきことを主張した。「先生」も「代助」もそのような自己の主張に立って生活を統一しようとしているために日露戦争後の世間の風潮にそむいて外見の不活動、低徊に生きた人物として立ち現れているのである。もとより漱石が旧道徳に対して新しき人間的モラルを主張した現実の姿が、彼の芸術の特徴をなした知的、行動的低徊に繋がれたことは、当時のインテリゲンツィアの一部が持っていた経済的・知的貴族性に制せられた結果として、今日自明なことである。
「幸福」の公荘は、壮年に達したばかりの年齢で既に生一本な情熱に動かされる感情を喪失し、しかも周囲の感情生活の諸相は或る程度あるがまま悪意なく理解する物わかりよさを持ち、常識は常識と知って習俗にさからわぬ躾をもって現れている。「先生」と「代助」が時代の制約の中ではあるが一定の主張をもち自らの戒律を持って生き、死にしたに対して、公荘は今日傍観する能力としてだけの範囲で知性を発動させる一典型としてあらわれているのを眺めることには、おのずから湧く感想なきを得ない。
 知識階級というものを抽出してヒ
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