バルザックは特にもてはやされた。何故ならマルクスがバルザックの作品を評したなかで、バルザックが政治的には王党派であったにもかかわらず彼の文学におけるリアリズムの力は、どんな経済学の本よりも当時のフランスの社会相とプロレタリアートの未来を描破しているという意味の言葉を云っている。一部の作家たちには、その一事が、作家が見たままを描きさえすればそれはおのずから歴史を反映し、文学はそのものとして常に進歩的であるという彼等の新しいリアリズムの解釈法を便利に正当化しているように思われ、斯くは、バルザックに還れ、ということが云われたのであった。
だが、バルザックの生きた時代と日本の一九三三年、四年という時代との間には、再びかえすことの出来ない八十年間の世界の歴史が横《よこた》わっている。古典を現代の滋養とするために何より大事なのは、より広くより深く歴史の動向に沿うて、社会生活の足あととしての古典を含味・批判・摂取することである。バルザックに還れと叫ぶ人々が、バルザックへ戻る前に既にそれをかみこなす自分らの歯を我から不要のものとして抜きすて去っているとしたら、そもそも何の規準によってこの一箇の巨大な
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