落におかれているのがきょうの現実である、純文芸の雑誌の経営困難も単行本の売ゆきの減少もすべてそこに原因をおいている、須《すべから》くそのような文壇を解消せよと云うのである。
 以上のような論が、嘗て三年前に、何でも書け、作家は書けばよいのだ、化物じみた新進作家万歳という形で文芸復興を叫んだ人々によっておこされ、更に、その文学的存在をこれまで最も文学青年的層によって繋がれて来ている一群の作家・評論家によって支持された事実は、何と見るべきであろうか。
 成程最近の種々な文学賞の氾濫は、一層文学を愛好する青年を見えざる文壇というものの周囲につめかけさせ、そのことは現実に或る種の作家が、人間的にも文学的にも薄弱な少なからぬ若者に囲繞《いにょう》せられる結果をひき起している。それぞれの賞に関係する選者があることは、その選者である有力な作家と選されようと欲する文学志望者との間に、それぞれの作家の稟質を反映して様々の微妙な交渉をも生じている。だが、純文学が民衆の現実からはなれてしまったとしてその根本原因は、文学青年の咎でないことは自明である。謂わばそれらの賞によって文学を産む素地の萎縮を救い得るかの
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