される由であるが、これとペンクラブの大会とは「依立する主軸と意図に相違ある」こと等が、諸方面から明かにされたのは、極めて妥当なことであったと云える。(一九三七『文芸年鑑』)
今日の文学の諸経験
――明日の文学への流れ――
さて、遂に我々の前には、将に暮れようとしている一九三七年の頁が現れた。この一年間に生きられた文学の諸経験は、その質においてまことに深刻である。
前年の終りに近づいてから民衆本来の心の姿は、或る種の作家の主張する如く現実の生活に対する批判の精神などを必要としていないものであるという論の出現したことについては前に触れた。本年に入ってこの論は、純文学と民衆生活との懸隔という方向へ展開された。純文学の作品を、きょうの民衆の何人が読んでいるか。彼等は依然として浪花節を好んで講談本を読んでいるではないかという風に問題がおこされたのであった。
そして、これ等の論者の言に従えば、これまでの純文学は民衆の真にあるがままの生活に何等ふれるところがない。要するに文学青年どものもてあそびもので、作家は遂に文学青年目あてに技法の末技末節に拘泥した堕
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