ように考えた既成作家の文学観が問わるべきであろう。社会の現実の内で所謂知識階級と民衆との生活の游離が純文学を孤立化せしめた動機であることに疑ないのである。
ヒューマニズムの問題において、飽くまで知識階級として独自の解決を見出そうとし、その不可能の企ての内で混迷しつづけて来ている多くの作家は、この文学の大衆化という再燃した課題に向っても、同じように民衆という語と作家という語とを内容的に全く固定して相対したものとし扱いつづけた。民衆にとってわかり易い文章を書かなければならない。民衆の感情にふれるところまで民衆の日常性の中へ下りて行って書かなければならない。そう主張するこれらの提唱をやや体系だてたものとして、谷川徹三氏の文化平衡論が現れた。日本の文化の歴史は、その社会的な背景の影響によってインテリゲンツィア、特に作家の持つ精神内容の高さと、夥しい制約を負うている民衆の文化水準との間に、甚しい距離が生じた。この不幸なわが文化の特徴が、今日文学と民衆とを切りはなしてしまっているのであるから、作家は、そのギャップを埋め、文化の平衡性を保つために努力しなければならぬとするのが、文化平衡論のあらまし
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