的立場に立つ以上現実批判なしにあり得ないことを警告しつづけて来ている一部の進歩的作家に対する駁論、否定にある。そして、先頃までは、すべての文学論議が常に知識人中心に扱われて来ていたにかかわらず、この、民衆は批判精神などという小五月蠅《こうるさ》いものを用としていないと云われ始めた頃から、文化と文学の対象に、民衆という語が現れて来た。これは将に刮目《かつもく》されるべき一つの点である。
 批判精神を持たず又必要ともしないのが本来あるがままの多数者であるという規定は、その非現実な設定にかかわらず、インテリゲンツィアと民衆との相互関係の見かたに又一つより低き方への動きを与えた。ヒューマニズムの問題のはじまりに、宙に浮いた知識階級なるものを仮定してそこでばかり物を云っていた弱点は、この時期に到って、インテリゲンツィアと民衆との游離という風に誇張せられ、インテリゲンツィアはさながら自ら知識人であることを負担として知慧の悲しみを愧《は》じるが如き身ぶりが現れた。
 森山啓氏の「収獲以前」という作品は、小市民としてのインテリゲンツィアとその庶民風な親族との家庭生活のいきさつを描いたものであったが、民
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