る。
一九三六年という年は、かようにして「もののあはれ」、「ますらをぶり」等が晦渋に呈出されつつある一方で、万歳と漫談、とりとめなくエロティックな流行歌とが異常な流行を見た時であった。文学における「嗚呼いやなことだ」と一味通じて更にそれを、封建時代の日本ユーモア文学の特徴である我から我頭を叩いて人々の笑いものとするチャリの感情に絡んだ気分のあらわれであった。鬱屈や自嘲がこういう庶民的な笑いかたの中に、日本らしい表現をもったのであった。
このことは、しかし、日本におけるヒューマニズムのたださえかがみかかって現れて来ている腰を、一層弱くし、泣き笑いの人生へ人間らしさ[#「人間らしさ」に傍点]を追い込む危険を導き出したと共に、更に『文学界』などの論として、民衆は現実に対して批判精神などはちっとも必要としていない。彼等はあのように朗かに笑っているではないかと、文学における批判精神の抹殺、ある意味では文学そのものの存在意識を否定した見解をひき出した。この論の真の眼目は、生活の現実に立って今日のヒューマニズムが無方向、一般人間論としてはあり得ないこと、リアリズムにしろロマンチシズムにしろ、人間
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