の味を知らされているのである。
「もののあはれ」ということは佐藤春夫氏の今日的文学の核をなしており、「まこと」「ますらをぶり」「さび」「なぐさみ」等の言葉は保田その他の諸氏の愛好する語彙である。だが、それらの用語は天から降る金の箭《や》のように扱われ、古代・中世・近世日本の文学におけるそれらの基準の概括の背景と内容は説き明されない。かかる日本文学古典上の評価の規準の推移に関するまとまったものとしては寡聞にして僅に久松潜一氏の『日本文学評論史』二巻があるばかりである。
 きのう、そして今日の日本の文化の一般的実質が健全に発育し豊富であるというには未だ未だ遠い現実であることは、克服すべき将来の問題の一つとして十分認識されなければなるまい。その文学精神が欧化したと云われる日本の純文学は一つのN・R・Fによってどれ程さわがされなければならなかったろう。文学における日本の精神というとき、その専門家である国文学者は俗流孫引きの牽強に対して、常識の抱く疑問を明かにする文化的実力は有しないのである。日本の市民生活における文化一般の未発達、貧寒さということはこのような現実のありように対して云われるのであ
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