とその精神への復帰は、最初シェストフ的な「不安の文学」が批判を与えられはじめた頃、能動精神の提唱と前後して、久松潜一氏などにより、朗らかに、おおらかな芸術美の対象として万葉時代の文学表現のことが顧みられた。当時にあっては、芸術美の一典型としての抽象において云われたのであった。が、一九三六年の当時に及んで、日本古典の問題は、芸術における伝統の享受、発展への要求の範囲を脱し、一種教化統制の風潮を著しくして来た。これを無条件に礼讚せざるものは、健全な日本文化人に非ずという強面《こわもて》をもって万葉文学、王朝文学、岡倉天心の業績などが押し出されたのであった。その旗頭としての日本ロマン派の人々の文章の特徴は、全く美文調、詠歎調であって、今日では保守な傾きの国文研究者でさえ一応はそれを行っている文学作品の背景としての歴史的の時代考察、文学の環境の分析等は除外されていることに注目をひかれる。
明治以来の文学が西欧文学のみをとりいれて古典の伝統をかえり見なかったことへの反省、と云われるのであるけれども、ここには今日一部の人々に云われるように単純な西洋かぶれと観てしまうことの不可能な日本近代社会生活
前へ
次へ
全89ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング