品にとりくんだが、これらの真面目な人間的・文学的努力も、成果においては作者の健全ならんと欲する意欲だけが感じられ、文学的現実は結論のない、中心がガランとしたものとして現れた。例えば、山本有三氏の労作「真実一路」と数年前に書かれた「女の一生」などとを比べると、この作者の進歩性が陥っている今日のスランプの客観的・主観的な性質が手にとるように感じられる。「真実一路」において作者は、力一杯に今を生きることを人間の真実の姿として描こうとしているのであるが、それも、分に応じてその人の気質なりに生一本に生きるというだけでは、やはり人間行動の社会的な評価にまで迫った現実の文学的追求とはなり得ない。同じ作者が、数年前は当時の社会の潮に励まされて「女の一生」に、少くとも進歩的な人間としての生き方の一つの具体的な道を示し得ていたことを思い合わせ、感想なきを得ないのである。
又、阿部知二氏は、「いかに生くべきか How to live」の探究において「冬の宿」を書いた。しかし、この作品も探求によって新らしく扉を開かれた人間性の発見には到達せず、探求彷徨の姿で描かれざるを得なかったのであった。
日本古典文学
前へ
次へ
全89ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング