とに慶賀すべきことであった。日本における「ヒューマニズムの伝統の乏しさ」につれて、「最近民族主義・伝統主義の擡頭と共に東洋的自然主義とヒューマニズムとの対質を内容とするこの課題は次第に重要性を加え来ている」そして「民族的と云われるもののうち多くのものが単に封建的なものに過ぎないということが」見落されてはならず、日本におけるヒューマニズムの伝統の乏しさは、この点に関しても今日の日本のヒューマニストが、西欧のルネッサンス時代のヒューマニストが、中世紀宗教の重圧をはねかえして、人間精神と肉体との自由であった古代ギリシア文化の復興を叫んだのと同じ関係で、古代文化の復興を云々することの誤りを三木清氏も指摘したのであった。三年前の文芸復興の声につれて、日本におこったロマン派、現在保田与重郎氏等によって提唱されている日本ロマン派が、素朴に過去へ飛躍して、ギリシア文化や万葉の文化、王朝文化を云々することが現実の文化を逆に引戻す作用をしていることが意味されているのである。
 青年論その他の形で旺《さかん》に討論せられるヒューマニズム論は、自然、良心的市民全般の生活態度への示唆として注目をひきつけずにはい
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