の要求は、一九三六年の夥しい、青年論・恋愛論となって溢れた。河合栄治郎氏は教育者としての見地から、今日における大学教育、教授の学的確信の失墜と学生間に瀰漫している、あしき客観主義、人間的意欲の喪失について論じ、ヒューマニズムの鍵として一種の唯心的な人格論を提唱した。三木清氏なども、ヒューマニズムへの情熱の必要を唱え、青年達が、大人の青年論に対して、冷淡であること、俗的日常主義に堕した気分の中で生活を引ずっている現象を、誤った客観主義と日本独特の東洋的諦観に害された自然主義的リアリズムとの結合と観察して、批判した。河合、三木その他の諸氏によって、誤れる客観主義、あしき客観主義と云われたのは、機械的、反映論風に唯物史観が俗流化されて一般に流布されているため、青年の多くのものは、人類史的規模の中で主体的に自己の人間性の積極性をつかまず、何しろこの世の中で、と、現代の情勢に万端の責任を転嫁して、卑俗な事大主義の生きかたをしている、それが誤りであると指摘されたのであった。
 ヒューマニズムの問題が、かくの如く文学以前の問題として、現代文化の本質的方向として一般に感受され、討論されて来た事実はまこ
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