なかったのであったが、残念なことに、多くのヒューマニズム提唱者は、それぞれの持論の内に、第三者が直ちにそれをもって行為的指針となし得なかった様々の微妙な矛盾を示していた。三木氏のヒューマニズム論は、あやまれる客観主義の否定、日本における社会生活と思想の伝統の特徴にふれて、今日のヒューマニズムの性質を明かにしようという努力にもかかわらず、あしき客観主義に対置するヒューマニスティックなものとして「主観性の昂揚」を、俗流日常主義の解毒剤として「理論への情熱」を提唱したのであったが、氏によって云われた主観性というものも、低俗な他力主義に対する主観の能動性の強調の範囲にとどまり、主観の内容は十分諒解させ得なかった。「理論への情熱」も同様であった。かかる観念の上に道を求めたヒューマニズムが、日常不本意な勤務や労働や従順を強いられている一般市民の人間性に、その生き方として行動の指針となり得なかったのは当然であった。
 三木氏によって云われた「主観性の昂揚」と「理論への情熱」という標語は、それなり直ちに能動精神、行動主義文学、ロマン主義者の間へ共鳴を生じ、一九三六年の文学の分野は、前年にない評論的活動
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