化振興会の成立以前、既に前年松本学氏が警保局長であった当時、故直木三十五氏や三上於菟吉、佐藤春夫、吉川英治諸氏と提携して「文芸院」設立を目論んだ時から端を発している。当時、既に正宗白鳥氏その他が現在保護と監視は同義語であるとして、「文学者がさもしい根性を出して俗界の強権者の保護を求めたりするのは藪蛇の結果になりそうに私には想像される」と云った。
 文芸院はその後形を変えて「文芸懇話会」となり、文芸院が概して大衆作家を主体としたのとちがって文芸懇話会はプロレタリア作家以外の純文学作家をも多数包括した。「文化の宝船に、文芸の珠玉を載せて、順風に金襴の帆を孕ませて行く。それが文芸懇話会の使命でありたい。楫《かい》をとるもの、艪を操るものには元より個々の力の働きがあるであろう。しかし進み行くべき針路は定っている」太陽をめぐる天体の運行が形容の例にとられ、そのような「拘束でない節制」を文化にもたらす組織として成立し、事業を物故文芸家慰霊祭、遺品展覧会、昨年度優秀文学作品表彰、機関誌『文芸懇話会』の発行とした。そして昭和九年度(一九三四)の文芸懇話会賞(一千円)は会員である横光利一氏の「紋章」と室
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