こうとする気持こそが謂わば当時の積極性の一面の特質であったから、文学の能動精神への刺戟、要求は、インテリゲンツィアの生活的方向を押し出す現実の力をもたず、文学の方法、ジャンルの再検討、曖昧のままにのこされているリアリズムへの反省という、文学の専門的部分へ集注されて行った現象が見られる。
新たなリアリズムの提唱が一九三二年後半になされて以来、方向を抹殺していることから理解の混乱低下、批判なき市井風俗的文学が現実を描くものとして輩出したことは、前項でふれた。
一方プロレタリア文学の作家は、社会情勢の推移とともに、新しい生活環境とその日常の裡にある勤労者の生活を語らんと欲して、時代の空気の影響もあり、地味な一見ありふれた自然主義リアリズムに近づいた。市井風俗の饒舌に飽き又自然主義的なプロレタリア文学に退屈した一部の作家、評論家は、「浪曼的な色彩を今日の文学に付さねばならぬ」「たとえば佐藤春夫氏の『星』や『女誡扇綺談』等の作品に流れる世間への憤懣の調べ、川端康成氏の描く最もほのかに美しい世界、あるいは僕らの同じ心の友だちの……。こういう立派な芸術の美しさをまず僕はあらゆる日にとらねばならな
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